就職試験の前日、姉と甥を走る凶器に奪われる

1961年12月1日 朝日新聞「声」欄に投稿 (岡島信治 18才)
"「走る凶器」に姉を奪われて"

掲載後、全国各地から暖かい励ましが届く。このお手紙にご恩返しを。
「交通事故遺児を励ます会」結成に続く。

1967年4月16日 朝日新聞「読者の広場」に呼び掛ける(岡島信治 23才)
"交通事遺児に愛の手を"

1967年4月30日 第1回会議 「交通事故遺児」を励ます会正式に発足
「5本の柱」を決めて取りかかる
 @交通事故遺児に手紙や訪問をして励まそう
 A高校進学への経済的援助をやろう
 B地方の遺児達との交歓会
 C交通事故ゼロへの討論をやろう
 D社会公害としての世論の喚起をやろう



昭和36年12月1日 朝日新聞 「声」欄へ投稿

「走る凶器」に姉を奪われて

こんなことがあってもいいのでしょうか。

私は、17日夜長岡市で起った長部美代子、重明の母子ひき逃げ事件の被害者美代子のたった1人の弟です。
あのむごたらしい残酷な仕業は同じ人間のすることでしょうか。私はいま深い暗い谷間に突き落とされた気持ちです。

生れながらに父を知らない私は、善行と両親と神とを信じてきました。しかし、私は小学校四年の時兄を失い、
昨年は姉がなくなりました。そしていま、去年の春、長岡に嫁いだばかりの姉が、こんなにもみじめな姿に
変り果てたのです。神はいるのでしょうか。

姉は交通事故で死んだのではありません。
小型トラックが残忍な人間のために「走る凶器」と化し、それに殺されたのです。
ぶつけられた時は姉はまだ生きていたのです。その時、車をとめてくれたら死にはしなかったでしょう。
いっしょにいた義兄はトラックのドアにしがみつき「止めてくれ」と何度も絶叫したのです。
しかし、彼らは姉と背中の重明ちゃんを400メートルもひきずり、自動車がみぞに
突っこんで動かなくなったので逃げたのです。

殺人行為となんら変わらない、いや、それ以上に残酷な行為が交通事故と言う名で軽減され、
甘く見られてもよいものでしょうか。そして、酔っぱらい運転なのです。
これは故意犯ではありませんか。だが、いくら重刑に処せられても私の姉は帰ってこないのです。
私の悩みを誰に聞いていただいたらいいのでしょう。

私は再びこのような残酷な犠牲者が出ないよう、ひき逃げの絶滅と犯人の厳罰を訴えるものです。
そして、皆様にお願い致します。交通事故で最も悪質な、酔っぱらい運転やひき逃げの絶滅と厳罰
に向かって目的達成まで署名運動を続けようではありませんか。「走る凶器」を追放し、
明るい社会を作り上げるために立ち上がって下さい。

私は知っています。万人の力の偉大さを。

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昭和42年4月16日 朝日新聞 「読者の広場」欄へ投稿

交通事故遺児に愛の手を

連日おびただしい死傷者を出している交通事故。私も、六年前に姉を走る凶器に奪われました。 その際、多くの方々の暖かい愛の手により元気に立ち上がる事が出来ました。 そこで、私にさしのべて下さった愛の手を、もう一度より広く生かして頂きたいのです。 「交通事故遺児を励ます会」をつくり、遺児に進学の機会を与え、激励の手紙を定期的に送るなど 暖かく援助して行きませんか。ご賛同下さる方、ご連絡ください。

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