励ます会発足満10年を迎え、暖かな励ましに支えられて成長した遺児たちは、
肉親を交通戦争に奪われた悲しみを"Fight"(ファイト)の言葉に変えた。


11年度(1977年4月〜1978年3月)



苦労続きの母親に自分達の力で1泊の温泉旅行をプレゼントしようと、
資金作りの28日間…。7月21日都庁前スタート。
ゴールの檜原村目指し、東京全域500kmの旅がはじまる。


★準備   …  6月後半からスタート直前まで「おかあさんへのプレゼント」を心に 皆の頑張りが続く。リヤカー・募金箱は手作り。コース設定の為、 下見・メンバー確認。入念な準備を経る。
★協力要請 …  ●55市区町村の行政、社会福祉競技会
●東京都資源回収事業協同組合
●"一緒に歩こう"子供達に参加の呼び掛け

=念願の温泉旅行には300名のお母さんを招待することができた=

9月25日,10月10・15日
廃品回収で提供された、新・中古品のバザーを都内と多摩地区で行う。
収益には温泉旅行に参加できなかった人を対象に見舞金として送った

10月29日
恒例の育英募金も盛り上がりを見せる。
励ます会からも多くの子供達が参加、遺児家庭の進学問題を強く訴える。

12月10日
交通遺児と母親の全国大会に出席のため上京した全国の遺児家庭と楽しくこう流会を開く



12年度(1978年4月〜1979年3月)


 およげ!!こいのぼり 
恒例の手作りこいのぼり。
この年、12mの巨体が多摩川ぺりで泳いだ。これまでの活動をベースに、 飛躍の年にしよう。そんな気持ちが込められた、大こいのぼり大会であった。

 中学生キャンプ 
毎年行われてきたキャンプも、この年は子供たちの中から新しいリーダーが先頭に立って
計画をした。活気のあるキャンプであり、何よりも一人一人が自分からすすんで
参加するキャンプが出来た。

 ファイト村構想 
「母さんガンバレ!僕らの廃品回収」が10年間の活動の総決算として成功し、
次の目標をしての「共に生きる」という事を、実践する場としての、具体的な
ファイト村構想が出来る。活動の主軸は村の建設資金調達へと移っていった。

“ファイト村 構想図”
いいなぁ…こんなところがあったら…車イスでもとおれて、点字ブロックもあって、 誰でも歩ける道。自然のたっぷりある、こんな所…
みんなのアイデアがまとまって、こんな村が出来ました



13年度(1979年4月〜1980年3月)


 ファイト村建設のための地域での集い 
ファイト村建設に、より多くの市民の協力を得るため豊島区・日野市・調布市・板橋区などで、ファイト村建設募金や市民の集いを行った。その中で行政や市民にファイト村の趣旨を訴えるとともに、車イスや白杖を使って弱者の立場での公共施設や道路をチェックしてファイト村構想を前進させていった。

 第1次ファイト村ワークキャンプ 
8月25日〜27日、檜原村倉掛地区にある廃屋を借りて第1回目のワークキャンプが持たれた。
雄大な自然に囲まれた環境の中、ご飯をたくのにもマキを使い、そのマキさえも山の中で切り出してくる生活。朝起きてから寝るまで仕事(=work=ワーク)に追われるが、いろりを囲んでの食事、天が迫ってきそうな星空を見ながらの語らいが参加した者の心をなごませた。

 村の人達との交流も 
過疎化の進む、ファイト村周辺のお年寄りと、檜原村の自然やファイト村について話し合ったり、郷土芸能を教えてもらう中で交流を深めた。




14年度(1980年4月〜1981年3月)


 Let's Fight! 人間回復’80年 作るぞ僕らのファイト村 
車社会に象徴される合理化、機械化の進む社会の中で、取り残されようとしている人間性を重視。
14年度は「Let's Fight 人間回復'80」をテーマに活動を展開した。

 ファイト村 村民募集 
呼びかけに応えて300人以上の人々が、ファイト村村民となった。

 ファイト村資金調達のために 
〜つくるぞ僕らのファイト村募金〜
1/1 高尾山薬王院
1/2 府中大国魂神社
1/3 明治神宮
1/4 浅草雷門
1/5 新宿
1/6 数寄屋橋
1/7 都庁
※元旦から7日間、募金を行った。

 かえってきたぞ 僕らの廃品回収(廃品回収その2) 
春休み・夏休み期間中、32市区町村を2台のリヤカーと、車イス幅の募金箱を引きながら廃品回収を行った。

 檜原ファイト開村 ファイト村建設へ第一歩 
廃品回収や募金等の資金で念願のファイト村用地(1,240F)取得。8/24日、現地での交通遺児や関係者など約100人が参列して待望の開村式を行い、建設への第一歩を踏み出した。
初代村長に、平 清太郎 就任。

鬼頭節子さんから送られた「母子像」「子供を見守る母の像」がファイト村シンボルとして設置された。



15年度(1981年4月〜1982年3月)


 4月4日を交通反戦デーに! 
今まで減少していた交通事故死者が、昭和55年から再び増加した。私たちは、この現実を直視し、『4月4日を交通反戦デーに!』をテーマに、檜原ファイト村から新宿まで行脚。その途中、五日市町、八王子市で『交通反戦大会』を開き、市民や行政関係者に訴えた。


 ファイト村役場 建設→竣工 
ファイト村の拠点として村役場が完成。12月20日に竣工式が行われた。20回のキャンプ、延べ700人の参加者の手によって、土地の造成から竣工に至るまで作業を進めただけに、竣工式には100名が出席し、村役場の完成を喜びあった。

 檜原村ー(100km行脚)→新宿 
車に頼りすぎてる世の中で、歩く事の見直しをしようと、檜原ファイト村から新宿まで行脚。参加者延べ200人。



16年度(1982年4月〜1983年3月)


 4・4『9月の涙は忘れない』 
励ます会の五本柱(目標)のひとつである“交通事故撲滅”のために前年度より取り組んでいる「4・4交通反戦デー」。この年はより多くの人々に私たちが生の声で訴えかけようと、交通問題と正面から取り組んだ劇の上演を試みた。
キャスト・スタッフの総勢30人のうち8人が父親を事故で亡くした人達。事故を憎む気持ちは全員に共通していた。出演者の中には、役柄の性格から、自慢の長髪を角刈りにした人もいるほど熱の入れようで、公演の前は連夜の立ちげいこが続いた。
4月4日、春の交通安全週間を前に、東京都日野市潤徳小学校で、200人の観衆を集めて上演された。

ーあらすじー
実話をもとに交通事故で父親を失った家庭の母子の会話を中心に、少年の運動会、母の職探し・発病・入院、さらに少年の施設への入所、とストーリーは展開。母の死で幕を閉じるー。
まさに、励ます会の怒りの原点というべき問題にスポットをあてた劇である。

 9・5『路上の沈黙』 
“路上の沈黙”では、
1、激増している若者のバイク事故に歯止めを!
1、人間性を破壊するいき過ぎた保険制度の問題。
1、誰もの身近にある悲劇。交通事故にもっと関心を持ってほしい。

以上を、目的として上演された。第1回同様すべて手作りの劇。夏休みを返上して舞台装置作りや練習にあたった。ビルの屋上で立ちげいこをしたこともあった。

『法律で16歳以上の免許取得は認められているんだが、そのことで今おまえ達は被害者になり加害者にもなりうるんだ』

『私達ルールを守って運転する事はできても、ひとたび事故を起こしたら責任はどうやってとるんですか……』

ーあらすじー
ある夜、猛スピードでバイクを走らせ転倒、即死した高校生直樹の死から始まり、父が交通事故で加害者だったこと、直樹がこれを悩んでいた事を跡づけながら、さらにその後のクラス討議などを通じて、交通問題をつきつめていく。

 第9回 ファイト村ワークキャンプ 
5月のキャンプでは“シイタケ”づくりキャンプが行われ、シイタケの菌打ちをした。その翌々年には、たくさんのシイタケが収穫できた。



17年度(1983年4月〜1984年3月)


「4(死)・4(死)に歯止めを!」と訴えてきたが交通事故は増加の一途をたどる。
危機感を持った私達は「'84年を交通反戦年に!」と各地の励ます会に呼びかけ、全国的な活動を開始。

 僕らの100万歩廃品回収 
'77年には苦労の多い遺児家庭のお母さんに遺児自身が温泉旅行をプレゼント。'80年にはすべての人が集える村“檜原ファイト村”建設資金調達。今回は「事故に歯止めを!」と訴えながら歩き、車優先社会を再認識するとともに交通反戦映画資金を調達。

ー廃品回収旅日記よりー
・人には適応能力がある。でも適応しちゃうとこわい。
・事故は増える一方で、増加傾向はおさまりません!
・23区に入ったとたんに交通量が増えた。よくこんなところで生活していると思う


 10フィート運動 
映画フィルム10フィート=1,000円で映画資金づくり

 死生ハガキ運動 
交通問題を訴えたハガキを全国の各家庭に郵送

 交通反戦連絡会議 
東京・埼玉・千葉の励ます会、交通遺児学生の会を中心に、交通問題を討議し互いの意識を高めるとともに、'84年に“車いやぁフェスティバル”開催を決定。

 4・4交通反戦デー 交通反戦祈念大会 
4月4日春の廃品回収ゴール地日野にて、交通反戦を祈って“祈念大会”を開く



18年度(1984年4月〜1985年3月)

交通反戦年


 車いやぁ フェスティバル 
埼玉・千葉の交通遺児を励ます会、交通遺児学生の会と共に車いやぁフェスティバルを開催した。
「車は嫌」と「反戦年」をもじって名づけたこのフェスティバルでは、コンサート、高校生のバイク問題をとりあげた劇、討論会、紙芝居、模擬店などを行い、わかりやすく交通問題を訴えた。

 路上の沈黙(映画)クランクイン! 
昭和56年より始まった交通反戦運動も100km行脚や、交通反戦劇を経てこの年、年間を通じて交通反戦運動を展開した。
廃品回収の収益金や多数の寄付で制作費をまかない、劇「路上の沈黙」をもとに映画づくり(16mm映画 43分)を行った。



19年度(1985年4月〜1986年3月)



 交通反戦映画 “路上の沈黙” 上映 
4・4交通反戦デーに初上映。スタッフ他100名来場。以後、地域の福祉まつり・都心の会場等で数回上映。高校から貸し出し依頼もあった。交通問題に無関心な人達の考えるきっかけづくりを目指す。

 遺児名簿づくり 
交通事故死者増加とともに遺児も増え続け、新しい名簿の作成が必要となる。東京都55市区町村の社会福祉協議会に協力依頼し作成に取りくむが、プライバシーの問題等で全把握はできず、今回は葛飾区他、数地区のみにとどまった。

 夏休み“ファイト村”キャンプ 
ファイト村で楽しい思い出作りを!!
新しく遺児として名簿に加わった子供たち全員に、ワークキャンプへの誘いの手紙を送ったところ、都内、多摩地区より(小学2年生〜中学2年生)までの子供たちが参加。とても素直な子供たちばかりで、初めはお互いによそよそしくしていたが、だんだんと親しくなり素晴らしいチームワークを作り上げていった。昼間はファイト村の標識作りをしたり、川遊びや探検でまっ黒になり、夜はゲーム大会でおおいに楽しんだ。
2泊3日のキャンプを終え、国鉄立川駅でおかあさんにおみやげを買って帰っていった子供達が印象的だった。

 地域の福祉まつりに参加 
恒例となった日野市福祉まつりへの参加。
励ます会のコーナーでは、ファイト村の紹介もかね、檜原村特産のこんにゃく芋を使った手作りみそ田楽に挑戦。
檜原村の人々や遠くからかけつけてくれた遺児・おかあさんの協力によりお店もにぎわった。
交通反戦映画「路上の沈黙」の上映も行った。



20年度(1986年4月〜1987年3月)



 檜原ファイト村 ー2棟目は「丸太小屋」づくりに挑戦ー 
第1棟は「檜原ファイト村役場」の建設。そして今度は、念願の「丸太小屋」づくりに挑戦!1棟目の時と同じように造成にはじまり、資材の確保、建築とできる限り多くの人達にかかわって頂きたいのです。
共同作業を通じて、仲間づくりはもちろんのこと、毎回のワークキャンプのプログラムを工夫し、参加する子供達の心の豊かさを重視して行きたいと考えています。
ぜひ、みなさんもご参加下さい。
☆炭焼き ☆シイタケ、ソバづくり ☆和紙づくり ☆バードウォッチング ☆天体観測

 恒例 夏のワークキャンプ 
今年のメインワークは、ファイト村役場下の土地にそば畑をつくることだった。役場下は根の強いカヤの株や草が生え放題で、畑作りは容易ではなかった。
炎天下、草刈り機・鎌を使って草を刈り、スコップ・つるはしを使って株を掘り起こした。
うねづくり・そば種まきは檜原村のおじいさんに指導していただいた。そばの種もおじいさんからいただいたものだ。
力をあわせてつくった畑。他にもシイタケ菌打ち作業などを行った。
秋になりそばを収穫。11月15日はお世話になったおじいさんの80歳のお誕生日。お誕生会をかねた収穫祭を開き、楽しい一時を過ごした。

 新春 座談会 
励ます会の活動も21年目に入る新しい年1987年を迎えて、これからの励ます会の活動について座談会をもった。
岡嶋会長をはじめ、ひとりひとりが今まで励ます会にかかわった思い出を織りまぜながら、今後の思いや抱負を語った。
皆の総意として、
●今だ増え続ける交通遺児への働きかけを充実させていくこと。
●ファイト村の趣旨を核とし、四季折々の活動を通じて自然から多くのものを学び、ファイト村建設を進めていく事
●全国各地の交通事故遺児を励ます会・交通遺児学生の会と連帯をもちながら、交通反戦運動をつづけていく事。
などが確認された。