檜原ファイト村建設まで
11年度(1977年4月〜1978年3月)


「母さんガンバレ!僕らの廃品回収」を経て、ファイト村構想が生まれる。


12年度(1978年4月〜1979年3月)


 ファイト村構想 
「母さんガンバレ!僕らの廃品回収」が10年間の活動の総決算として成功し、
次の目標をしての「共に生きる」という事を、実践する場としての、具体的な
ファイト村構想が出来る。活動の主軸は村の建設資金調達へと移っていった。

“ファイト村 構想図”

いいなぁ…こんなところがあったら…車イスでもとおれて、点字ブロックもあって、 誰でも歩ける道。自然のたっぷりある、こんな所…
みんなのアイデアがまとまって、村づくり構想が出来ました

ファイト村構想をより多くの人に啓もうするために地域活動を豊島区を皮切りに展開。


13年度(1979年4月〜1980年3月)


 ファイト村建設のための地域での集い 
ファイト村建設に、より多くの市民の協力を得るため豊島区・日野市・調布市・板橋区などで、ファイト村建設募金や市民の集いを行った。その中で行政や市民にファイト村の趣旨を訴えるとともに、車イスや白杖を使って弱者の立場での公共施設や道路をチェックしてファイト村構想を前進させていった。

 第1次ファイト村ワークキャンプ 
8月25日〜27日、檜原村倉掛地区にある廃屋を借りて第1回目のワークキャンプが持たれた。
[作業]道路設備雄大な自然に囲まれた環境の中、ご飯をたくのにもマキを使い、そのマキさえも山の中で切り出してくる生活。まさに朝起きてから寝るまで仕事(=work=ワーク)に追われるが、いろりを囲んでの食事、天が迫ってきそうな星空を見ながらの語らいが参加した者の心をなごませた。

 村の人達との交流も 
過疎化の進む、ファイト村周辺のお年寄りと、檜原村の自然やファイト村について話し合ったり、郷土芸能を教えてもらう中で交流を深めた。




14年度(1980年4月〜1981年3月)


 Let's Fight! 人間回復’80年 作るぞ僕らのファイト村 
車社会に象徴される合理化、機械化の進む社会の中で、取り残されようとしている人間性を重視。
14年度は「Let's Fight 人間回復'80」をテーマに活動を展開した。

 ファイト村 村民募集 
呼びかけに応えて300人以上の人々が、ファイト村村民となった。

 ファイト村資金調達のために 
〜つくるぞ僕らのファイト村募金〜
1/1 高尾山薬王院
1/2 府中大国魂神社
1/3 明治神宮
1/4 浅草雷門
1/5 新宿
1/6 数寄屋橋
1/7 都庁
※元旦から7日間、募金を行った。

 檜原ファイト開村 ファイト村建設へ第一歩 
廃品回収や募金等の資金で念願のファイト村用地(1,240F)取得。8/24日、現地での交通遺児や関係者など約100人が参列して待望の開村式を行い、建設への第一歩を踏み出した。
初代村長に、平 清太郎 就任。

ファイト村役場建設資材調達のため狛江市庁舎解体作業(村役場の柱、床板、壁に利用)
鬼頭節子さんから送られた「母子像」「子供を見守る母の像」がファイト村シンボルとして設置された。



15年度(1981年4月〜1982年3月)


 ファイト村役場 建設→竣工 
ファイト村の拠点として村役場が完成。12月20日に竣工式が行われた。20回のキャンプ、延べ700人の参加者の手によって、土地の造成から竣工に至るまで作業を進めただけに、竣工式には100名が出席し、村役場の完成を喜びあった。

 檜原村ー(100km行脚)→新宿 
車に頼りすぎてる世の中で、歩く事の見直しをしようと、檜原ファイト村から新宿まだ行脚。参加者延べ200人。



16年度(1982年4月〜1983年3月)


 第9回 ファイト村ワークキャンプ 
5月のキャンプでは“シイタケ”づくりキャンプが行われ、シイタケの菌打ちをした。その翌々年には、たくさんのシイタケが収穫できた。



17年度(1983年4月〜1984年3月)


 僕らの100万歩廃品回収 
'77年には苦労の多い遺児家庭のお母さんに遺児自身が温泉旅行をプレゼント。'80年にはすべての人が集える村“檜原ファイト村”建設資金調達。今回は「事故に歯止めを!」と訴えながら歩き、車優先社会を再認識するとともに交通反戦映画資金を調達。

ー廃品回収旅日記よりー
・人には適応能力がある。でも適応しちゃうとこわい。
・事故は増える一方で、増加傾向はおさまりません!
・区に入ったとたんに交通量が増えた。よくこんなところで生活していると思う




19年度(1985年4月〜1986年3月)



 夏休み“ファイト村”キャンプ 
ファイト村で楽しい思い出作りを!!
新しく遺児として名簿に加わった子供たち全員に、ワークキャンプへの誘いの手紙を送ったところ、都内、多摩地区より(小学2年生〜中学2年生)までの子供たちが参加。とても素直な子供たちばかりで、初めはお互いによそよそしくしていたが、だんだんと親しくなり素晴らしいチームワークを作り上げていった。昼間はファイト村の標識作りをしたり、川遊びや探検でまっ黒になり、夜はゲーム大会でおおいに楽しんだ。
2泊3日のキャンプを終え、国鉄立川駅でおかあさんにおみやげを買って帰っていった子供達が印象的だった。



20年度(1986年4月〜19877年3月)



 檜原ファイト村 ー2棟目は「丸太小屋」づくりに挑戦ー 

第1棟は「檜原ファイト村役場」の建設。そして今度は、念願の「丸太小屋」づくりに挑戦!1棟目の時と同じように造成にはじまり、資材の確保、建築とできる限り多くの人達にかかわって頂きたいのです。
共同作業を通じて、仲間づくりはもちろんのこと、毎回のワークキャンプのプログラムを工夫し、参加する子供達の心の豊かさを重視して行きたいと考えています。
ぜひ、みなさんもご参加下さい。
☆炭焼き ☆シイタケ、ソバづくり ☆和紙づくり ☆バードウォッチング ☆天体観測

 恒例 夏のワークキャンプ 
今年のメインワークは、ファイト村役場下の土地にそば畑をつくることだった。役場下は根の強いカヤの株や草が生え放題で、畑作りは容易ではなかった。
炎天下、草刈り機・鎌を使って草を刈り、スコップ・つるはしを使って株を掘り起こした。
うねづくり・そば種まきは檜原村のおじいさんに指導していただいた。そばの種もおじいさんからいただいたものだ。
力をあわせてつくった畑。他にもシイタケ菌打ち作業などを行った。
秋になりそばを収穫。11月15日はお世話になったおじいさんの80歳のお誕生日。お誕生会をかねた収穫祭を開き、楽しい一時を過ごした。

 新春 座談会 
励ます会の活動も21年目に入る新しい年1987年を迎えて、これからの励ます会の活動について座談会をもった。
岡嶋会長をはじめ、ひとりひとりが今まで励ます会にかかわった思い出を織りまぜながら、今後の思いや抱負を語った。
皆の総意として、
●今だ増え続ける交通遺児への働きかけを充実させていくこと。
●ファイト村の趣旨を核とし、四季折々の活動を通じて自然から多くのものを学び、ファイト村建設を進めて行く事
●全国各地の交通事故遺児を励ます会・交通遺児学生の会と連帯をもちながら、交通反戦運動をつづけて行く事。
などが確認された。