苦労続きの母親に自分達の力で1泊の温泉旅行をプレゼントしようと、 資金作りの28日間…。7月21日都庁前スタート。
ゴールの檜原村目指し、東京全域500kmの旅がはじまる。


11年度(1977年4月〜1978年3月)


「皆で もっと ゆっくり すごせたらいいな・・・」自然にもれてきた声を、満10 年を迎えられた感謝の気持ちをこめて実現させよう。それも、ただ人の力に頼るので はなく。

さあ、スタート!
何もかも手作りの活動の中から生まれたのが廃品回収の提案だった。集めたお金で、 お母さん方を温泉に招待しよう。6月11日、集まった会員10数名は、翌日からすぐに 走りだした。行く先に設定された熱川ハイツとの交渉。「必ず来ます。よろしくお願 いします!」と約束してしまった。
真夏の28日間、リヤカーをひいて55市区町村を完歩しようというのだから、不安がな いと言えば嘘になる。しかし、考え込んでいるひまなどなかった。《絶対に成功させ るんだ!》という気運が高まり、各市区町村への協力要請のための趣意書の作成、リ ヤカーの設計製作、時に泊まり込みの作業が開始した。日を追うにつれて1人また1人 と仲間を呼び、7月21日都庁前スタートに向けて、全員が照準を合わせてのフル回転 であった。到着予定は8月25日都下唯一の村桧原村である。



今度は自分の手で・・・
飛びまわるスタッフの中には、数年前までは会員のお兄さん・お姉さんたちに遊んで もらっていた子どもの顔がいくつもあった。たくさんの人たちに支えられ、成長して きた自分たちに、今何ができるか。「与えられる」立場からの脱却。それはこの旅の もうひとつの意味でもあった。
・・・あっという間にスタートの日は来た。

7月21日
美濃部都知事に送られて、都庁前をA・B班、2台のリヤカーは、ひまわりの旗を先頭 に元気に出発。出発後すぐに花屋さんが、そしてやおやさんが廃品を・・・。 うれしーい!ありがとう
やっぱり下町ってのはいいなー。


7月25日
「たいへんですね!きょうはこれからですか?がんばってネ!」と言われコーラをご ちそうになった。
大変うれしく飲ませてもらった。
8月8日
はじめての雨。暑い日が続いていましたが、今日はとても寒い気がした。

8月12日
息子が出られないからと村越さんのお母さんが古新聞をかかえてとびまわっている。 子供もお母さんも一生けんめい。
8月22日
朝起きると雨。17日連続の長雨に、もうすっかりなれっこになってしまった。暑さも、 雨も、僕たちには通じない。この1ヶ月、みんなすっかり自信をもった。





8月24日
明日はゴールだ。


いよいよ ゴールだ!

8月25日
ついにゴールが見えた。2台のリヤカーが合流する。なんだか急に涙が出てきた。み んな抱き合って喜んでいる。お母さん、やりましたよ!みなさん本当にありがとうご ざいました。

前半の猛暑、後半の冷たい雨、重い廃品、がんばる子どもたち、仲間の歌、眠け、疲 労、出会い、別れ、悲しみ、喜び・・・すべての想い出がこの時みんなの心の中から ドッと涙になって流れ落ちた。そんな感じだった。


子ども達の声

  • 十数キロとい距離はとても長いものだと初めて感じた。でもみんなと一緒に歩いたの でそれほど疲れなかった。

  • どんなにつらくても僕より小さい子が一生けんめいやっているんだと思いながら眠る と、次の日はちゃんと目がさめました。


  • 東京中歩いて得たものは、廃品やお金だけでなく、むしろ人々の善意であり、仲間の すばらしさであり、ひとつの事を成しえた満足感であったと思う。
    ハンドマイクを通して、すなおに「今まで色々ありがとう」と言う子どもたちを見て、 本当にやってよかった、と思った。一人ではできない事も、皆が力を合わせればでき るんだ、ということがしみじみと感じられた。


  • 1人の力は小さくとも、声を出し合い、励まし合いながら集まった時の力が、みんな の目的を貫徹しました。しかしともに歩いた道のりは、平穏ではなかったのです。で も辛い事にも、苦しさにも負けないでがんばり通した仲間は、この道のりからの経験 は、みんなのこれからの人生に、よい支えとなり、すばらしい思い出となるでしょう。 子どもたちはこの廃品回収という1つの仕事から、他の人の心を考えるという事を学 びました。これはたとえようのない大きな成長なのだ、と思うのです。
    会員のみなさん、子どもたちよ、これからもみんな仲間だ、ともに歩こう。



  • 温泉旅行へGO!
    ゴールの興奮さめやらぬ翌月9月3・4日と10・11日2回に分けて、念願の温泉旅行が実 施された。遺児家庭の母子・父子あわせて300人余りを招待することができた。廃品 回収の利益は、募金を含め実に520万円を越えた。温泉につかり、皆ですべての遊び を返上したこの夏のことを話しあうのは、楽しかった。そして久しぶりにのんびりし たお母さん、子どもたちの笑顔−。
    目に涙をうかべるお母さんもあった。


    母さんは うれしかったよ
    「温泉旅行もうれしかったけど、それにも増して、息子が一生けんめい夏休み中、私 のために廃品回収で汗を流してくれたのがうれしかった。廃品回収に参加する前は、 言うことをきかないどうしようもない子だったのが、夕べけんかをしたら、今日学校 から帰ってきて、『母さん、夕べはごめんなあ』と言ってくれた。また、おふろから あがると、ふとんが敷いてあるようになった。今までになかったうれしさを感じてい ます。」こんな話しをしてくれたお母さんもあった。
    また、勤めで来られなかった9歳と7歳の兄妹のお母さんのかわりに、おばあちゃんが 参加、「こんな旅行は何年ぶりか・・・みなさんのおかげです。」という声も。
    (ああ・・・よかった、がんばって歩いて、本当によかった・・・)


    9月25日,10月10・15日
    廃品回収で提供された、新・中古品のバザーを都内と多摩地区で行う。
    収益には温泉旅行に参加できなかった人を対象に見舞金として送った


    12年度(1978年4月〜1979年3月)


     ファイト村構想 
    「母さんガンバレ!僕らの廃品回収」が10年間の活動の総決算として成功し、
    次の目標をしての「共に生きる」という事を、実践する場としての、具体的な
    ファイト村構想が出来る。活動の主軸は村の建設資金調達へと移っていった。


    14年度(1980年4月〜1981年3月)


     かえってきたぞ 僕らの廃品回収(廃品回収その2) 
    春休み・夏休み期間中、32市区町村を2台のリヤカーと、車イス幅の募金箱を引きながら廃品回収を行った。



    17年度(1983年4月〜1984年3月)


     僕らの100万歩廃品回収 
    '77年には苦労の多い遺児家庭のお母さんに遺児自身が温泉旅行をプレゼント。'80年にはすべての人が集える村“檜原ファイト村”建設資金調達。今回は「事故に歯止めを!」と訴えながら歩き、車優先社会を再認識するとともに交通反戦映画資金を調達。

    ー廃品回収旅日記よりー
    ・人には適応能力がある。でも適応しちゃうとこわい。
    ・事故は増える一方で、増加傾向はおさまりません!
    ・区に入ったとたんに交通量が増えた。よくこんなところで生活していると思う