交通反戦キャンペーン

◎励ます活動から、交通事故撲滅へ ’80〜
1980年を契機に従来の交通遺児を励ます活動から交通事故撲滅へ向けての活動へと重 点を移していった。
初めは会員の学習会を通じて交通遺児や遺児家庭自らが車社会に取り込まれていくと いう矛盾や「歩道橋は誰が渡るのか」「楽しく歩ける街づくり」など、車優先社会の 見直しをした。加えて、東京で交通死者ワーストワンの街八王子で、右記の内容の大 会を開き、多くの市民に訴えかけた。
交通反戦大会の内容


1.交通遺児作文発表
2.成長した交通遺児の訴え
3.事故多発 若者の自動二輪問題
4.安易に乗ってしまう婦人ミニバイク問題
5.免許取得年齢引き上げ問題
6.警察庁の交通死者「24時間以内のみ」提起の問題について
7.警視庁管内交通死者ワーストワン八王子市民として問題提起
8.車から命を守ろう、4・4を交通反戦デーに!交通反戦宣言
9.関係機関に要望書提出


◎全国への問題提起 ’82〜
交通事故が一向に減少しない中、東京だけでなく、全国への呼びかけを行う。
@死生ハガキ運動 A10フィート運動 B黒川実くんの全国行脚(全国を歩いて事故防止を訴える)それと 共に、首都圏の励ます会(埼玉、千葉)、交通遺児学生の会、と協力して、交通反戦 連絡会議をもった。その中で「人間性否定の車社会」「自分がマヒしている事」など 激論をかわし問題点を全国の励ます会で考えるために連絡機関紙“歩歩路”(ポポロ) を発行した。右記は歩歩路の記事の一部である。
”交通反戦”という言葉に抵抗を感じる人もいると思いますが、私達が「交通戦争」 の中で生活していることは周知のことです。(1970年の死傷者数は全人口の1%に当 たる100万人)。交通事故は、被害者はもちろん、加害者でさえ、「人を殺す」 (「殺される」)という意識を持たずにいるのに、次から次へと人を死に追いやり、 人の生活を破壊して来ました。かつて、多くの人々が「国家のために」と死んでいっ た(死に行かされた)戦争よりももっと性質の悪い「戦争」が、第二次世界大戦後の 経済成長期に発展して来たのです。しかし、誰もがこの「戦争」に気づいていながら も、この問題を根本的なところから考え、改善することをして来ませんでした。なぜ なら、この「車」というものがあまりにも『栄え』すぎたために、誰もが「もう、ど うしようもない」とあきらめているからではないでしょうか。
機関誌「歩歩路」(ぽぽろ)より


◎実践 ’84〜
全国への問題提起とともに @皇居一周ガスマスクマラソン A車いやぁフェスティ バル B交通反戦劇の上演(後に映画化)などの実践活動を行い市民への啓発をした。

◎それから・・・ ’87〜
私たちは歩く事からいろいろ学んだ。障害物のある狭い歩道、歩道橋など、車道は障 害物もないのに、歩道は危険である。ましてや目の不自由な人や車イスの人などが歩 くとしたら・・・。
車社会の中で、人間優先の社会を造るのは私たちが街を歩くことから始まる・・・。
そして、今後も各励ます会と連絡をとりながら、考え、行動して行きたい。